NETWORK MUSEUM&MAGAZINE PROJECTS INTERVIEWS 1998.3 インタビュアー:中村ケンゴ −僕が大学に入ったのは’90年位なんですが、その少し前、つま り’80年代の中頃ですが、とくに関西を活動の拠点としていた若 いアーティスト達が華々しく活躍していた、いわゆる「ニューウェ イブ」と言われたムーブメントがあった時代がありましたよね。館 さんはその頃大阪芸術大学の学生だったと思うんですが、学生から 見た当時の雰囲気なんかについて聞きたいんですけど。 「ニューウェイブ」と言われていたのは縛より2つから4つ上の人 達です。展覧会の搬入搬出なんかを手伝っていましたけれども基本 的にはわりと傍観していました。ただ、醒めた目で見ていたわけで はなくて、その先輩達が制作しているアトリエなんかに入り浸って はいたんですけど。 −いろんな作家がいたでしょうから、一般化するのはいけないとは 思いますが、当時の彼等の作品の印象はどんな感じでしたか。 当時はみんな作品が異常にでかくて派手だったんですよ。作品には それぞれの作品に適正なサイズといのがあると思うんですが、そう いうことではなくて、とにかくでかいものをつくった者が勝ちだ、 みたいなところがあったんですね。展覧会でも一番場所をとった作 品が勝ちとか(笑)。ただそういうのって本末転倒というか、とに かくでかくて派手なものをつくって、その後にコンセプトがついて くるといった感じがしてたんですよ。絵画なんかにしてもギャラリ ーに展示するときに、大きい作品を並べて非常に密度を高くすると か。それで一点、一点の作品が見えにくくなってしまったり。だか ら逆に自分が作品を発表するときにはちゃんと一点、一点が見られ るようにレイアウトするようにしようと意識してましたね。 −よく言えばみんなとても元気だったということでしょうか。 そうですね。いい意味でも悪い意味でも。 −それは関西という地域性もあるんでしょうか。 そうでしょうね(笑)。 −東京にいるとやはりメディアを強く意識することが多いからでは ないでしょうか。いかに作品をメディアに流通、透過させるかとい った…。それに対して関西の作家というのは…。 非常に、ベタ(大阪弁で「そのまま」などの意味)な感じ(笑)。 −そういうところはあるかもしれません(笑)。そういった当時の 自由な雰囲気というのは、海外のニューペインティングや新表現主 義などの影響もあったんでしょうか。 そうですね。ニューペインティングのムーブメントは、日本の場合 「ニューウェーブ」という言葉に置き換わってしまったんですけど 欧米のように歴史的必然があって出てきたわけではなくて、例えば 社会性であるとか。そんなことよりも個人的な好き嫌いとか、そう いうかたちでただ単に自分の価値観を投影するだけの作品がつくら れていたことが多かったような気がします。 −日本の場合はモダニズムの展開から立ち上がってきたわけではな くて、海外からそのモードだけを輸入したということなんでしょう か。 よく言えば、自分たちの価値観にうまく置き換えたというか。メデ ィアもそういうふうに仕立て上げたということもあると思います。 −当時流行った広告のコピーで「わたしがいちばんかわいい」とい うのがありましたね。日本はその頃バブル経済と言われた未曾有の 好景気へ向けてどんどん時代が騒がしくなっていくときでもありま したし。 美術だけではなく時代的な雰囲気だったんでしょうね。 −そういう意味では館さんはそういった状況をわりと客観的に見て いたんでしょうか。自己撞着的な表現に陥らないようにしようとい うか。 そういったことが作品のなかにあることは当然なんでしょうけど、 それだけでは弱いんじゃないかと思うんです。自分のことだけ語っ て本当に作品を通したコミュニケーションができるのかとか。 −館さんは一貫して絵画を制作されていますが、絵画をやろうと思 った動機というか、きっかけというのは何かあったんでしょうか。 動機も何もなくて他に何もできなかったんですよ。版画とか器用じ ゃないとできないでしょ。立体作品つくるにしてもそんなに体力が ないし。(笑)。だから最初から絵画がやりたいというモチベーシ ョンがあったわけではなくて他のことができなかったということな んですよね。ただ絵画というスタイルが自分のアイデンティティを 一番ストレートに表現できるメディアだという気がするんです。例 えばカメラとかパソコンでもいいんですけど、そういったものを媒 介とするよりも、身体そのものを使った身体表現ができれば一番い いんでしょうけど。この(自分)の身体で何ができるのかというこ ともあるし、それならせいぜい筆一本とか、それが自分にとって身 体の感覚に一番近いところでできるということです。 −例えば館さんの作品に描かれているイメージに対してよく昆虫の 羽根であるとか花弁であるとか 言われていますが。 大学の頃、初めは表現主義的な表現で裸婦を描いていたのですが、 そこからだんだん裸婦のかたちがなくなってきて。裸婦は絵を描く ための手がかりでしかなかったですから。そして筆のストロークの 中から核になるイメージがだんだんと出てきました。 −その核になるイメージというのは何なんでしょうか。 はじめはとにかく核になるイメージとしか言えなかったんです。そ れで自分でも何なんだろうとずっと考えていました。結局、すごく 個人的なことなんですが、自分の家が蜂蜜屋なんです。それで子ど もの頃から日本中の花のあるところを転々と親と一緒について行っ てたんです。 −蜂が巣をつくる箱を持って行くわけですね。 そうです。まだ手伝うこともできない子どもですから一日中、山の 中にほったらかしにされるんです。捨て子みたいに(笑)。そうす ると何も遊ぶものなんて無いんですよ。今だったらゲームとかある んでしょうけど。しかたがないから虫を見てたり草を取ったりして たんですね。そうして一日中、山の中にいると午前中と午後では光 も風の匂いも虫の活動のしかたも花の咲き方も変わりますよね。そ ういう自然の一日のサイクルの中で有機的なイメージが立ち上がっ て、日没とともにまた消えていく。季節によっても蜂箱を置く所が 変わりますから、例えば夏は北海道、春は伊勢、秋は東北(地方) とか、一年のサイクルの中でもまたイメージが変わる。そんなとこ ろで感じた自分の原風景みたいなものが作品に現れているんではな いかとも思うんです。ただ、このことはちょっと前までは言えなか ったんです。個人的なこと過ぎて。だから花や虫のかたちなのか、 と言われるのが嫌だったので。 −無意識のうちに現れているのかもしれない、というところでしょ うか。筆のストロークが純化されてるなかでそういった有機的なイ メージが自然と現れてきたということですね。 そうですね。制作のプロセスの中でだんだんと明確になってくる仕 事というか。もう10年くらいその同じイメージのものを描いてい ますが、描き始めたら一気に仕上げてしまうとか、描き始める前は 思いっきりテンション上げるようにしています。少しでも時間を空 けてしまうと、そのイメージにノイズが入ってしまうんです。一点 の作品はだいたい3〜4時間で完成します。 −いわゆるフォーマルな絵画とは違うやり方ですね。 そうですね。西洋的なフォーマルなやり方とは、ちょっと違います ね。 −そうすると作品に対して、構成とか色彩とか空間とか、そういっ た文脈で評価されるというのはあまり本意ではありませんか。 いや絵画は解釈の自由が保証されていると思いますから、そういっ たアプローチで捉えられることもやぶさかではないです。 −作品のタイトルには、聖書から取られた言葉が使われているとい うことですが。 自分でタイトルとつけるのではなくて、どこからか拾ってきた言葉 を使うことによって、作品のビジュアルとタイトルの言葉との相乗 効果でもっとイメージが広がるんではないかと思うんです。別にク リスチャンではありませんが、たまたま家に聖書があったんです。 ただその言葉を日本語に訳してしまうとその言葉にイメージが引き ずられてしまう。 −絵画というジャンルは美術の中でも最も古くて伝統のあるもので すが、それゆえに現代ではその存在意識を示すのは非常に困難な形 式とも言われています。さまざまなところで絵画についてとやかく 言われていますが館さんはどのように感じていますか。 絵画というジャンルについて、例えばメディアでどう言われていよ うが気にはなりませんし、興味もありません。とにかく自分のアイ デンティティを作品に反映させることが私の仕事です。 (東京、銀座 Oギャラリーにて) |
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