芸術批評誌リア第2号
ガレリアフィナルテ 個展

藤木周(現代美術研究)

 ペインタリーな絵画の描き手として、堅実に評価を高めてきた館
の個展がフィナルテでひらかれた。
 館らしさを代表する早いストローク、画面を決定づける伸びやか
な筆致の冴えは、鉛筆による硬質な線に置き換えられたようだ。ド
ローイングする線の操作に手応えが感じられた。筆致ではなくドロ
ーイングの線に変えたことは、一つの飛躍といえる。この幾重かの
線が絵の具のマチエールを枠付けて、場を限定させている。メディ
ウムを違えて鉛筆で残された早いストロークの硬線は、絵画面にモ
ニュメンタルな静けさをもたらしている。
 さて、本展の作品に特徴的なのは、画面中心かた外れて作られた
絵具マチエールの堆積である。それは、たっぷりと託された絵具を
筆がえぐるように掻き分けて、画面に残された短い筆跡(正確には
筆による操作ではない)で、何層か塗り重ねられてできている。本
展での館の絵画を特徴付ける試みであった。筆跡、マチエールや余
白とも言うべき白地の広がりなど、館の絵画を前にすると、絵画の
問題群を多く考えさせられる。
 最新作に現れた問題ではないようだが、館の絵画における、白の
現れほど興味深い提案はない。純色がかった白がいっぱいにとられ
た画面に、ハイコントラストを作る黒が奔り、ストロークとは言い
難い重量感のある厚塗りのマチエールが作られる。その重ねられた
絵具に白が被さっている。この白の現れ方がバロック絵画的なハイ
コントラストのようであり、抽象表現主義絵画的なブラッシュ・ス
トロークのようでもある。ペインタリーな絵画を構成する複数の要
素を抱えながらも、この白の現れは、ふわりと力が抜けている。強
度で充溢したはずの画面にあって、わずかな白の現われが強度をほ
どいていく。白により沈潜する絵画を創るのではなく、飛翔してい
くあり方が絵画の今に根源的な試みのようであり、館勝生の展開は
これからも追うべきものに違いない。