2000.8
KANSAI DANCE&PERFORMANCE INFOMATION HOMEPAGE 展評
ギャラリー白 個展

上念省三

 既にギャラリー白の案内はがきの写真で彼のキャンバス上の形、
動きのゆっくりした変化が、とうとうここまで来たのかと感慨深く
受け止めていたのだが、ギャラリー白へ行くまでに、Oギャラリー
eyesで開かれていた「領域の痕跡」という企画展(他に赤塚祐
二、中川佳宣らの小品)に出品されていた紙に描かれた小品の前に
立って、ぼくはもう、そのある種の神々しさに戦慄を覚えていたと
いっても過言ではない。何度も書いてきたように、彼の作品は、蝶
か蘭のような形をしていたのが、もはや何ら生命の予感を汲み取る
こともできない、腕の動きの痕跡としての大きなストロークが直交
する。それがなぜ激しく心を動揺させるのか。ギャラリー白で「c
arousings」と名付けられた3枚の大作に囲まれて、やは
りぼくはそのようにいぶかしく思いながら、至福の長い時を過ごし
た。
 まず細い線がある角度を持って大きなストロークで描かれ、それ
を覆うように厚い油絵具を置き、ナイフで広げ、はじめの線とほぼ
直交するような別のストロークが加えられる…作品の大まかな成り
立ちは、そのようなものであるように見えた。もちろん以前から見
られたような絵具の飛沫、影か膜のような滲みも見られる。そして
今回の作品で大きく目に入ってくるのは、キャンバスの余白だ。
 余白というのは恐ろしいもので、そこになにかが生成することを
渇望させるような強迫する力を持っている。今回の連作の「T」と
「V」では、長方形のキャンバスの偏りをもって描かれた形が、余
白に流れ込んでいくようにも思われ、また、余白そのものが未生の
強い力を持っているようにも思われ、強い重みをたたえていた。
 「領域の痕跡」の資料として、館は「自己の外界のものを画面に
取り込むのではなく、自らの身体性をおびた直接的な表現手段を用
いて自己の器官から創出する、イメージが発生する時間を想起させ
る絵画づくりをしていきたい」と書いているが、彼のキャンバスの
上の動きが、彼自身の身体性を直接的に反映させようとして苦闘し
ているものだとすれば、それはまるで舞踊する身体の一つの瞬間が
凍結したようなもので、それはまさしく人を戦慄させるものである
と、深く納得するのだ。
(抜粋)