1999.9 展評創刊号
ギャラリー白 個展

安黒正流

「密度濃いイメージ」

 一度見たら忘れられない独特の形を描く作家である。1985年
に大阪芸術大学に在学中に発表をはじめたころはとりあえす裸婦を
手がかりに形をつくっていたという。裸婦ではなくても良かった、
なんでも良かったのだけれど、とにかく何か実在するものをとっか
かりに使わないと、形が出てこなかったのだという。
 間もなく、自分の内面に向かい合い、内面を凝視しているうちに
中からおぼろげに形が立ち上がってきて、その形を画面につかまえ
て表出できるようになった。
 館勝生の作品の形は、館勝生が内面に抱いている何かを形象化し
たものである。幻想なのか、象徴なのか、心象なのか。あるいは胸
中山水なのか。かすかに裸婦を手がかりにしたころの残響も留めて
いるのだろうか、有機的な形である。混沌の中から、生命体が発生
し崩壊する時間をも孕んで、もろくはかないけれど、強靭に輝く力
も帯びた不思議な形である。
 館は、しばしばこの形は何なのか、どこから出てくるのかを問わ
れる。それ程に独自で、好奇心をそそる形なのだといえるだろう。
作者自身にも説明は難しいようだが、とりあえず今のところはこん
な仮説をたてている。生家が養蜂業だったので、幼時、蜂蜜の巣箱
について四季の花を追って各地の山中を転々とした。そのころ寝転
がって吸収した草花、昆虫の姿、土の匂い、四季の光。それらが原
体験として、自分の中に蓄獲されていて、今絵の中の形として出現
してくるのだろう。これが作者自身による、模範解答例である。
 しかし、これが唯一の正しい答えというわけではないだろう。作
者本人の幼児体験はこの形をユニークなものにしているのは確かだ
ろう。けれど、人類の発生以来の経験もまた、館の絵画の形に参加
しているだろう。だから館の不思議なイメージは、個性と普遍性を
あわせ持って、見る者の心を騒がせる。
 1980年代の関西では、観念美術やミニマル・アートの盛行に
抑圧されていたイメージの復権を標榜する「YES ART」グル
ープの活動が注目を集めて、関西ニューウエーブなどと呼ばれてい
た。若々しい解放感が共感を呼んだニューウェーブだったが、’8
0年代も後半にさしかかると次第にその派手な身振りが、放縦、粗
大に流れる弱点を露呈するようになる。そんな時期に、ニューウェ
ーブが用意した道を通って、ニューウェーブを越え、ニューウェー
ブを深化させた絵画を見せたのが、館だった。館のイメージには、
リアリティがあり、密度があった。若くして内面の混沌を形象化す
る秘儀に通じた作家という印象だった。以前は、腕と絵筆を通り道
に、内面の混沌を、外へ押し出して形をとらせるための産みの苦し
みが目についた。その沈鬱さ、侮渋さは近作ではやや減して、より
気楽に鑑賞できる絵になってきたように見える。青春の惑いから、
壮年の安定へ。イメージの質に変化はないが、作者の心身の加齢が
作品の表情を微妙に変えているようだ。