1998.9
KANSAI DANCE&PERFORMANCE INFOMATION HOMEPAGE 展評
原美術館 ハラドキュメンツ 5 館勝生−絵画の芽

上念省三

 1998年8月下旬、出張にかこつけて、原美術館(東京、北品
川)で館勝生展を見て猛然と美術について書きたくなった。「ハラ
ドキュメンツ5館勝生−絵画の芽」である。
 館は、ぼくにとっては見慣れた作家である。この何年か、舞台を
見るのに忙しいせいもあって画廊に足を向けなくなってからも、館
だと聞けば足を運んだ。蝶の羽根のような不思議な形態がゆっくり
と崩れていくのを興味深く見続けた。今回の数点の作品もその延長
上にあるといっていい。基本的には画面左が蝶であれば胴体に当た
る部分で厚く盛られた絵具をナイフでブーメラン状にこねている。
画面右は羽根に当たる部分で、円ないし楕円に絵具を薄く伸ばして
いる。そして“Gold That Has Been Tasted
in the Fire”といった意味ありげなタイトルが英文で付
されているのも同様だ。
 彼はこのようなスタイルを数年来、頑なにといっていいほどに守
っている。少なくともぼくが見始めてから、それ以外の作品を見た
ことがない。しかしそのパターンの中でゆっくりと変容し、新たな
表情が見えてくるのを、毎回ぼくは楽しみにしてきた。今回の作品
の中で目立ったのは飛沫の散乱である。“The Smoke of
the Incense”では、画面上方、特に右側に激しい飛沫
が見られる。これが例えば絵具の塊を叩くようにして生まれたもの
なのか、別に(意図的に)ブラシなどで描かれたものなのかはわか
らないが、先ほど「ブーメラン状」と呼んだストロークの方向と飛
沫が無関係のように見えるところから、どうも後者であるようだ。
いずれにしても、この飛沫が画面に一層の激しさを与え、スピード
感を増していることは間違いない。
 さて平面絵画の中でスピード感というとき、だいたいは描かれた
ストロークの速さが感じられることだ。キャンバス上に残ったブラ
シやナイフの跡から、作者の腕の動きを再現し、一緒になって腕を
掃くように動かしている気分になること、これがぼくにとってのド
ローイングを見る一つの快感だ。もちろん、館の作品にもそういう
部分がある。しかし、たいていの他の作品でそのスピード感は平面
の内部で生起し、消滅するのに対し、館の作品ではむしろ平面その
ものが激しいスピードで去っていくような印象が残った。それは主
に画面右側の絵具を薄く伸ばした円形のフォルムの中から生まれて
くるものだ。そこで伸ばされた薄い色面は垂直という明確な方向性
をもったマチエールがあらわで、おそらくはアクリル絵具ならでは
の表面を滑るような摩擦の低いスピード感によるものだろうが、そ
こだけ激しい速度で下降していくような眩暈感さえ発していた。薄
さは速さであり、希薄さに息詰まるような切迫感があった。今回展
示された7点の作品の中では、“A Purple Robe”,
“Jasper Stone”にそんな下降の速度が顕著だった。
後者ではそれが円形に切り取られた内部に見えているのに対し、前
者では円の外にまで速度が浸透しているのがダイナミックだ。とこ
ろが、他の作品ではそのような薄い速度は影をひそめ、その部分は
淡い滲みのようなトーンに取って代わられている。“Smell”
“The Smoke of the Incese”という作品
のタイトルの通りだ。それは滲出または余燼のように見える。あえ
てドラマを求めるわけではないが画面の中に一つの爆発と、その余
燼が描かれているように見える。現存とその跡形といってもいい。
濃淡、厚さと薄さ、どのような言い方をしても間違いではないが、
このように画面を斜めに区切る形で提示される対照は、その生成の
力の強大さと、消滅の跡の鮮やかさによって、なんだか悲哀さえ感
じさせるほどの緊張感をもっている。
 これまで、ぼくが館の作品に感じてきたのは時間ということだっ
た。薄い垂直に下降するブラシの跡は何かが飛び去ってしまった跡
に見えたり、画面自体が鋭い速度をもっている現れだった(と思っ
た)。今の館の作品からはそのような速度感よりは、瞬間に起きた
(例えば破裂という)事柄の大きさを感じる。事柄の構成としては
画面の内部で完結しているようにも見えるが、その飛沫はキャンバ
スの枠を超え、絵具の盛り上がりは観る者に迫る。画面を構成する
要素の統一感は高まり、求心力が上昇している。この鋭く強い求心
性によって再びこれらは臨界点に達し、自らの凝集する力によって
再びの爆発を迎えるのではないかと、ハラハラと、楽しみに思うの
だ。