1995.7 視聴覚通信15 展評
ギャラリー白 個展

上念省三

 ギャラリー白の館勝生展では、館のこれまでの作品のゆったりと
した変化の流れを思い出しながらそのシャープな緊張感に身を委ね
ることができた。館の作品については、以前にも蝶の羽か蘭の花の
ようなフォルムがものすごいスピードを持っていることの緊張感に
ついて考えてみたことがあったが、しばらく前からそのフォルムが
崩れつつあることが気になっていた。その崩れはカビのコロニーが
できているようであったり、蝶であれば胴に当たる部分が異様に複
雑化したりすることで生じている。ある一つの生命なり世界が、完
成を通り越して爛熟し腐敗していく過程を、館の近作はかなり長い
タイムスパンで見せてくれているようだ。
 ぼくは何にせよ、崩れていくことにたいへん敏感になっていた。
館の作品について、そのもの自体が高速で下降するというより、そ
のものの上を何かが高速で移動して行ったようだと書いたことがあ
った。しかし、今回見た作品では、運動ではなく、そのもの自体が
変貌してしまう様が描かれている。これは館の作品を見るぼくにと
って、かなり本質的な変化のように思われた。もちろん描かれたフ
ォルム自体は前作の延長線上にあるのだが、画面の運動が空間的な
ものから時間的なものへと根本的に変質したようで非常に驚いた。
(抜粋)