1994.5.28 朝日新聞
兵庫県立近代美術館 アート・ナウ’94

無著名

 マンガ週刊誌が毎号数百万部売れるという現在、時流に敏感な美
術展「アート・ナウ’94」に、マンガっぽい作品があるのは自然
なことだろうか。一方、ハイテク文明の人間不在を見つめた作品、
根源的な存在の不安にこだわった作品もある。全体の雑然とした状
況自体が、「ナウ」だともいえよう。13人出品し、6月26日ま
で兵庫県立近代美術館で。
 華やかなコンパニオンがずらり。会場の入り口で、あなたを迎え
る巨大なパネルを、看板と間違えないで下さい。これは柳美和の作
品なのです。平日はパネルだけだが、日曜午後には実物のコンパオ
ンがご案内して、記念写真のお相手もいたします。
 森田多恵が、やはり見る人を作品に取り込んでしまう。迷路の一
部かと思わせる仕切りの奥に、奇妙なのぞき眼鏡がある。一人ずつ
しか見られない。
 異質な二人が似ている点は、絵でも彫刻でも表現しきれない状況
に、目を向けていること。そしてどこかマンガ風の柔軟さだ。
 笹岡敬がコピー機を3台並べた作品は、無人のまま機械だけが動
き続ける。リレー装置で断続的にキーが押され、何もコピーしない
まま音を立てながら複写光が点滅する。見慣れた事務機の見慣れな
い状況。無表情な、終わりのない単純作業に、現代の一面がまざま
ざと浮かび上がった。
 真っ黒な土くればかりの星野暁は、大小無数の断片の上に延々と
指跡を残した。無数の繰り返しは笹岡とも通じ合うが、生々しい星
野の指跡には時代を超えて人間臭い情念と迫力がこもっている。
 表情を抑えながら、しかも異様な迫力と緊張感を発散するのは、
川端嘉人の鉄の壁だ。重さ6トンの壁の内側に15トンのドライア
イスを詰め込んだ。その冷気で初めは真っ白に凍っていた壁の表面
は、ドライアイスが気化するにつれて黒い鉄の地肌になっていく。
ただそれだけ。しかし、存在感は圧倒的だ。
 つねに新しさが求められる現代美術では、あまりにも早く流行が
交代してきた。それが世界的に息切れしている現在、自分で納得で
きるまで追求した現代性が評価される。
 それが分かりやすいのは、川端らの立体作品だ。しかし、いまや
新しい表現の可能性が薄いとみられる絵画の方にこそ、自分にこだ
わり続ける努力は貴重だろう。館勝生はその筆頭。巨大な羽虫かと
も見えるイメージが、現れてくるのか消えかけているのか定かでな
い緊張感と暗い予感が、画面から端的に伝わってくる。