1994.3.20 産経新聞
上野の森美術館 VOCA展

建畠晢

「新たな絵画の模索−VOCA展'94によせて」

 絵画の危機が叫ばれて久しい。今日の絵画は混沌たる多様性の中
で、あえいでいるかのようでもある。それでも、いや、それだから
こそ若い作家たちの必死の模索は続く。今、東京・上野の森美術館
で開かれている「VOCA展−’94新しい平面の作家たち」は、
彼らの創造的活力をすくい上げようとするものだ(VOCAはザ・
ヴィジョン・オブ・コンテンポラリー・アートの英文の頭文字をつ
づり合わせたもの)。本展の独自性、また受賞作品を中心に個々の
作品について、審査員の一人、美術評論家の建畠晢氏につづっても
らった。
 前衛美術の展開のさまざまな局面で、絵画の時代は終わったと繰
り返し主張されてきた。前に進むためには、伝統に依拠したこの大
芸術を過去のものにしなければならないということだろうが、そう
した性急な主張にもかかわらず、絵画はそのジャンルとしての王座
を他に明け渡すことはなかった。たとえ危機に直面しても、その翌
日には新たな意味を担って蘇生してきたのである。この限定された
二次元の世界には、容易には克服しがたい人間の表現にとっての本
質が宿っていると言わねばなるまい。
 インスタレーションやらハイテクの導入やらと今日の美術の状況
は、かつてない多様化の時代を迎えたかに見えるが、絵画は依然と
して、その中心に位置する支配的なジャンルであり続けている。V
OCA展は、その平面作品、広い意味での絵画の先端的な動向を紹
介する意図をもって、今年から創設された展覧会である。
 絵画のコンクール展は珍しくないが、VOCA展は出品作家を4
0歳以下の若い作家に限定したこと、全国の学芸員、評論家、美術
ジャーナリストに推薦を依頼し、推薦された作家が原則としてすべ
て出品されること(推薦者名と推薦理由も公開される)などの点で
独自の性格をもつ。単に、アンケートに答えれば終わりというので
はなく、関係者がそれぞれに責任をもって、緊張感のある展覧会を
組み立てようというわけである。
 今回は27名によって選ばれた42作家が出品された。もちろん
特定のテーマや主張を掲げた展覧会ではないから作品の性格は具象
や抽象、レリーフ的なもの、あるいはコンピューター・グラフィッ
クまできわめて多岐にわたるが、逆に言えば、傾向を問わず今もっ
とも旺盛な活動を展開している世代の動向の断面が優れて集約的に
示された会場ということになるだろう。その中からVOCA賞、奨
励賞の5名が選定されたが、受賞作を中心に、その概要を展望して
みよう。(審査員は高階秀爾、酒井忠康、本江邦夫の各氏に筆者)
 VOCA賞の2名は共に女性であった。福田美蘭は中世のステン
ドグラスを思わせる黒い枠の中に、高速道路の夜景など都会的な生
活の眺めを描き入れるという奇妙な謎をはらんだ作品だが、その画
面は彼女ならではの卓越した描写力と相俟って、絵画のイメージの
虚構性の意味を見る者に考え込ませずにはおかない。
 世良京子は対極的に、漆黒の炭素粉を塗り込めただけの、一切の
イメージを排したかのような寡黙な作品である。しかし、それは拒
絶的な闇ではなく、流動的なタッチを潜在させていて視線は画面の
奥行きへと、吸収されるようでもある。微細なマチエールの変化の
中に、思わぬ空間の深さが秘められているといってもよい。
 奨励賞の館勝生は、壮麗に流れ落ちるヴェールのような層の中に
どこか羽を思わせる独特の形象が浮き上がっている。そうした光と
闇、地と図の精妙な対比が透明感のある抒情を感じさせもする美し
い作品である。
 小林正人のイメージは黄色い地の中に半ば溶解してしまっている
が、自らの画室を描いたものらしい。その混沌とした眺めは、ある
いは絵画が誕生する場所の神話的な光景であろうか。画面の光は、
そうした至福の空間を明るませているかのようだ。
 森弘志は、三面の祭壇画のような構成だが、そこに何か不穏な心
理をはらんだ場面を出現させ、幻想の物語へと私たちの想像力を誘
う。静止した登場人物や小道具の緻密な描写が、不思議な時間の感
覚をたたえているのも興味深い。
 受賞作だけが傑出していたわけではなく、その他にも、赤塚祐二
の重厚なタッチ、堅牢な構成を見せる佐川晃司、韓国出身の崔恩景
や唯一、コンピュータ・グラフィックスを出品した小田英之など、
全体のレベルは当然ながら、かなり高い。
 もっとも作品ごとに趣が異なるために、見る方はいささか頭の切
り替えに苦労させられるが、まあ、展覧会の性格上、いたしかたあ
るまい。
 ところで、この展覧会のもう一つの興味は、各地の推薦者の目を
通じて、これまであまりジャーナリズムなどで取り上げられてこな
かった、力のある画家に出会えるという点にある。今回の世良京子
(福岡県在住)も、本展ならではの"発掘的"な成果の一つと言えよ
う。スポンサーは第一生命だが、バブル崩壊後に構想されたという
点では、より堅実な企画メセナ活動と言えるかもしれない。