1990.11 ART&CRITIQUE No.14
ギャラリー白 個展

天野太郎(横浜美術館学芸員)

「組織された混沌」

 我々日本人が、常に何らかの外的要因をきっかけに“こと”をお
こし、発展させたりご破算にさせたりしてきた事は、今更言うまで
もないことだろう。戦前−ただしヴェトナムではなく第二次大戦の
ことだが−はまだしも、戦後にいたってのいわゆる60年代、70
年代の思想や、狭いところでは美術思潮にしても、なおそうした状
況を見いだすことが出来るだろう。とりわけ美術はこの場合概ねア
メリカの戦後の美術思潮がひとつのメルクマークとなった。その結
果がどうであったかここで検証する余裕はないが、今、50年代半
ば以降に生を受けた世代は、ひょっとすると良くも悪くも“確固”
たる−まさに括弧たる−文化的基盤を喪失した日本の歴史上、初の
人類ではあるまいか。そして、少なくとも彼らの中では、淋派とフ
ランク・ステラとの精神距離は縮みつつある。なぜなら忸怩たる思
いを込めて、戦後(だけではないが)、日本の美術界が独自の理論
を開示できないまま、今に至っているからである。勿論画家は理論
をもって絵を描くわけではない。言いかえれば日本の現代美術がそ
の敏腕なる“広報部”をついぞ持ち得なかったのだ。
 ところで筆者が我国の美術において、もし日本流の「アバンギャ
ルド」という言葉に従ってその意味において比較的正確に使うとす
れば、文句なしに先に述べた基盤なき世代の作家たちに採用しよう
と思う。というのも彼らがあらゆる意味においてニュートラルであ
るからだ。そしてここでとりあげる館もまた多かれ少なかれ、その
中の一人として念頭におきたいと思う。
 さてこの数年の間の館の作品の変遷は、それまでもち続けてきた
具体的なイメージやあるいは絵の具そのものが示すマティエールに
対する依存がなくなりつつある事をよく物語っている。そして最終
的には、画面にタッチの痕跡すらも了解できなくなるのではないか
と思わせるくらいに、ある種の気負いがなくなってきた、とも言え
るだろう。ところで、かつて−と言っても数年ほど前の事だが−イ
メージのもつ輪郭がより明確であったころは、それなりにある力強
さを伴いながらも、それだからこそ、ともすればマティエールの表
情に依拠する姿勢が見られた。そしてイメージの持つ形態はそれ自
身が訴えかけてくる作用よりも、ここでは常に画面全体の微妙なマ
ティエールや画面構成によって、その意味性が強化されたり弱めら
れたりしている。今回の作品では組織された混沌とでもいうべき核
によって画面の隅々にまで、等しく荷重された緊張感が張り巡らさ
れた。画面が均質感を増すことによって、作品はイメージと背景と
いった単純な関係ではなく、それらが常に転倒可能な危うさを伴う
ことに成功している。またイメージは、かろうじて痕跡止める程度
に押さえられ、そのことによって、画面はいわばオールオーバーの
構造にみられるような平面化への傾向を強めている。と言えなくも
ない。勿論作品の中から、例のイメージが完全に消え失せたわけで
はない。むしろ視覚的には、より巧妙にイメージの多義性が配慮さ
れ強化されつつある。そのことが、今最も館の作品を他の作家と比
して、際立たせている点と言えるだろう。すなわち見えない構築性
が、それ故我々が迂闊にも気が付かないままに彼の中で周到に育て
上げられた結果であろう。
 さて館の一連の作品を眺めて言えることは、彼にとっての平面の
処理やマティエール、そしてそれ以前の問題である筆の処理や画面
構成についての模索の時期は、ひとつの到達点を迎えたのではない
だろうか。イメージの形態が、画面全体のオール・オーバーな処理
によって、最初期とは新たな表情を見せることを古くて新しいこと
として、我々に示す結果となった。彼にとっての絵画における主題
と意味はすなわち“描く”ことにほかならない。なぜなら、ここに
は形式を無効にせざるを得なかったコンセプチュアルアートの洗礼
もなければ、警戒し続けた作品の意味性を結局は、無視できなかっ
たモダニズムのジレンマ−従ってポストモダニズムの申し子でもな
い−も見いだすことは出来ないからだ。脱皮し続けた末に、その痕
跡によって作品は生成されるのではない。そのことを館の作品は端
的に語っている。痕跡を拾い集める前に、すでに彼は筆を動かし始
めているのだから。