1990.12 BT美術手帖 展評
ギャラリー白 個展

尾崎信一郎(美術批評)

館勝生の今回の個展は、彼が自己の表現において一種の突破を敢行
したことを印象づける画期的な内容であった。館はこれまで暗い画
面にほの白く浮かび上がる独特の形象を介して、イメージの顕現と
いう一種のエピファニーを画布上に実現することを図ってきた。今
回の新作において注目すべき点は、これまで顕著であったストロー
クと絵画の物質感が希薄となり、代わって画面に一種の透明感が招
来された点、そして中心となる形態は保持されながらも以前にもま
して画面の垂直方向の強調が図られている点である。また正面の架
けられた作品は黒でなく茶主調色としているが、そこでは色面は形
態を浮かび上がらせる背景というより没入する地のごとき印象を与
え、この結果この作品ではイメージの出現というより、むしろ消失
が主題化されているかのようである。出現と消失、両者に共通する
のは事件の瞬間性にほかならない。そして先に述べた新作品の特質
は、まさにクリティカルなイメージの定着に即応しているといえよ
う。イメージを純粋な形で実現するためには視覚的な要素の強調が
求められるのであるが、ストロークとマティエールの抑制はこれに
対応している。同時に、画面の透明性は決してイリュージョナルな
奥行きへと反転することはなく、垂直方向が強調された画面の構造
もむしろ深みを排除する。遠近法を想起すれば了解されるとおり、
画面の奥行きを示唆する空間性は画面にヒエラルキーの根拠を賦与
し、読み取りに関しても時間的な秩序を要請するものである。館の
場合、画面そのものはオールオーヴァーでもなければ非関係的でも
ない。しかし垂直方向に強引な形で貫入する絵具の滴りや拭き取り
の痕跡が画面のヒエラルキーを解消し、観者の知覚に対して瞬間的
に訴求する。初期のバイオモルフィックな形態との類似も含めて、
ここで連想されるべきはバーネット・ニューマンであろう。崇高と
いう主題を実現するにあたってジップによって構成される巨大な画
面が果たした役割は知覚の瞬間性を確保して、絵画という存在の絶
対性の意味を越えた事件として実現することにほかならなかった。
館もこれまで絵画おける主題性の回復と説いてきたが今回の新作は
それに見合うだけの形式がついに獲得されたことを誇示して間然す
るところがない。