1990.2 美術手帖 展評 ギャラリー白 個展 鈴木創士 沈黙の中には、地上においてはかならずバックグラウンドノイズが ある。存在が実現されているところには、事物の底をながれる物質 の通奏低音がとだえることはない。それと同じように、ものの形の 中には形象のいわばノイズがあるのではないだろうか。館勝生のタ ブローには、形に到達するまでの直感的なものの原子が飛び散る瞬 間が描かれているらしい。私には、物質の未来の息吹が、時間が生 まれるまえの粒子状の視覚、クォークとしての絵画素(神話素、意 味素といった言葉と同じような意味での)が飛散するのが見える。 キュビストたちが幾何学の仕組みをあばいてくれたおかげで、私た ちは、それを意識の上にのぼる表象に頑固に還元しようとする分析 への妄執をいまや免れている。形態を、形態の動きを、そして形態 の未来を別の仕方で感じることができるようになったのだ。それは 「知覚の扉」をひらいたのである。だから絵画は言語で言い尽くす ことはできないということは、画家自身を断罪することになるだろ う。彼がじっと見据えているのは、筆舌に尽くしがたいものではな く、表象不能のものなのだ。この一瞬に消滅そのものと見まがえる ようなこの幻覚の真実に賭けなければならない。そこで創造され表 現されようとしているのは、このかげろうのような事物の絶対的痕 跡、つかの間の形状の無時間的エピファニーであり、それらの動き なのである。そして、おそらく、この視覚による事物の運動の凍結 は、私たちのうちに触知不能の物理的な嵐をひきおこしているはず である。ノイズは嵐に成長するのである。 |
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