2004.2
元麻布ギャラリー,ギャラリー白 絵画の「たのしみ」 案内状

安田篤生(原美術館学芸統括)

 今回同じ展覧会で顔をそろえることになったこの3人について、
私は過去にも個別に文章を書いたことがある。展覧会カタログのた
めであったり、展評であったり、文章の性格も異なれば、書いた時
期や掲載媒体もばらばらである。一番古いのは確か渡辺信明につい
てで、15年近くも前のことだったと思う。いずれも’80〜’9
0年代のもので、今彼らについて改めて言葉を考えるために最近作
の資料を見ていると、当然のことながら変化というものを感じる。
そこで感じるのは彼らの表現そのものの内的な変化でもあるが、彼
らが拘ってきた絵画という表現形式とそれを取り巻く状況の変化で
もある。日本の現代美術では、しばしば絵画的表現形式は「平面」
という言葉=概念で置き換えられてきた。今美術に限定せずイメー
ジの場として「平面」という言葉を考えてみると、私たちは液晶と
いう平面を無視することができない。美、娯楽、ビジネス、教育、
生活情報など、あらゆる場面に置いてディスプレイの画面は幅を利
かし、いまや私たちの多くはポケットの中にまで持っている。メデ
ィアアートが目立つ現代美術もまた、直接的であれ間接的であれ液
晶の時代と言えるだろう。およそ非物質的で真っ平らな面である液
晶ディスプレイは、われわれの感覚へ直にインプットするような仮
想空間を提供することができる。乱暴に言うと、液晶の外にある実
在空間を消去して、中の仮想空間に人を泳がせる。一方、絵画論的
な「平面」を表現の場とする彼らの作品は、物質的であり、仮想現
実としてではない「空間」である。そこには絵画という形式である
がゆえのイメージの空間があり、絵画の「たのしみ」が息づいてい
る。