1990.2
細見画廊 山部泰司・館勝生展 リーフレット

天野太郎(美術評論家)

「新たなる言葉としての絵画」

 関西と関東は、陳腐な例かも知れないが依然として言葉使いの違
い以上の違いをお互いに持っている。その違いについて、例えば色
の好みに始まって、生活感の違いに至るまであげつらうことが図式
的であったにしても、なお依然として両者の違いを誰もが、言い当
てることはできないにしても、感じることはできるだろう。といっ
た具合にこの二人の関西の若手の作家についての出だしを考えてい
たところに、まさに疾風怒濤の東欧の変革が、ありとあらゆるメデ
ィアを通じて報じられ、まるで退官後の人類学者のエッセイみたい
なことを書いていることのアホらしさがこみ上げてきて、正直なと
ころこの先をどう話を進めようかと立ち往生している。
 ただ気を取り直して、もう少し冷静に考えてみれば、およそ政治
的、思想的風土を有しないこの東の、あるいは西のちっぽけな「幸
せ」な日本は海の向こうの出来事は巻き込まれそうな戦争ですら、
尻に火がつくまで脳天気に傍観していたではないか。もしも今日の
状況が、かつての海外での動向に対する日本人の処し方とどこかが
違うとすれば、例えば東欧の変革を見聞しても−この場合若者を指
すが−跳ね上がって、変革だと同調して騒ぐ者が誰もいないという
ことだろう。世間から「超」ずれた大学当局を糾弾することに奔走
したという意味で、日本の愚行史(そんなものがあるとすれば)に
燦然と輝く学生運動も、その争点の日本的なことを除けば、全てが
舶来産であった。すなわち、サンフランシスコやパリで同時代に行
われた学生運動は、当時の日本の学生たちにとってすぐにでも同調
しなければならないものであった。そして制度としてのモダニズム
の中で自己矛盾を起こし、賢明なものほどいち早く運動から離脱し
青春の一頁として大事に胸に納められたのは誰もが知るところであ
る。このように考えれば、実際のところ日本のモダニズムに対する
咀嚼の時代は終焉を迎え、結局はよりどころを失うことで個人がそ
れぞれに表現の言語を持たざるを得ない状況に自らを追い込んだこ
とになるのではないか。そしてアートのシーンもまた例外ではなか
った。60,70年代のアメリカ現代美術は日本の何人かの作家に
とって恰好の信仰告白の場とはなったが、依然として付きまとう化
け物のような「日本的特色」を明らかにする手だてとはならなかっ
たし、何かしらの様式を生み出す事もなかった。今日の日本の経済
的優位から来る自信とは決して思わないが、これ程までに外に範疇
を求めようとしない(実際してみたところ何も生まれたりはしない
が)従って、個別的な表現のための言語をそれぞれが持ち得た時代
があっただろうか。
 現代美術の世界で言えば、せいぜい30代前半までの作家たちに
共通してみられる様々な表現は、歯の浮くような言葉であった「価
値の多様化」という事が現実化した証のような気がする。
 今回の山部泰司,館勝生の2人はそれぞれの独自のフォルムを通
じてその表現の手だてとしている点で共通しているが表現のめざす
ところは極めて異なる。山部泰司の描く「花」は勿論花を再現して
いるのではない。ただ、表現の道具として選択された象徴にすぎな
い。それは外に向かって放射されるエネルギーの源であると同時に
新しい世界への「窓」ともなっている。その意味で両義的であり、
イメージの幻惑を強く感じさせる。館の場合はそのフォルムがより
抽象的である分、イメージは多様に拡がる。イメージの生成に伴う
エロティシズムが、作品の緊張感と力強さを拡散させることなく、
見事にそのテンションを高めている。ところで彼らの作品が、いか
に表現の構築を果たして行く上で、自由で奔放であるかは瞠目に値
するものがある。彼らの様式がすでに有効ではなくなったポストも
の派以降の時代の趨勢とは従って無関係に独立して存在している。
そのことが戦略的ではない、つまり意識的な行為でないにしても、
彼らの作品が間違いなく次代の担い手になることは確かなことであ
ろう。なぜならすでに、アメリカやヨーロッパでは平面作品に限ら
ず、まったく新たなコンテキストの上に立った象徴が、極めて戦略
的に操作され始めているからだ。我々が、その意味で真に「アバン
ギャルド」の時代を迎えた事を示唆しているのかもしれない。すな
わちすべてが了解された「神話」を有し、そして一般化されてしま
った現代において、彼らの作品が、実は言葉の厳密な意味で、新た
な言語に成り得ている事を見つめ続けなければならないだろう。