1987.12 ギャラリー白 絵画の根拠 案内状

尾崎信一郎(兵庫県立近代美術館学芸員)

 今、なぜ絵画が問題とされるのか。
 おそらくこの問いかけは二重のかたちでなされるべきであろう。
まず多様な表現手段が獲得された現在にあって、なお絵画というメ
ディウムを選ぶことにどのような意味が見いだせるのか。そして絵
画の理路が見失われてしまったかにみえる今日、絵画の未来をいか
に定位することが可能か。これらはいずれも絵画が現在置かれてい
る困難な状況を反映しており、従って私たちはその可能性を80年
代美術においてイメージへの回帰が絵画において顕著に達成された
といった現象の表層面によってなしくずしに語るべきではないし、
ましてや現代思想の華やかな修辞へと送り出すべきでもない。
 今世紀美術の中で様々に多様化する表現様式、とりわけ近来抬頭
するパフォーマンス、あるいはインスタレーションといった表現は
その父系を、歴史の中にたぐることによって認証されるという点に
おいて歴史主義的であり、同時に価値としての新しさに恵まれてい
る。しかし、作品の類概念から積極的に逸脱するこれらの様式の流
行が、単に従来の作品の前提を取り払い、それによって形式の束縛
から解き放たれるための「新しさ」にしか基づいていないのならば
「新しさ」は空転し、表現の無制約は逆に恐るべき負荷として作家
を圧倒するだろう。自らの統語法さえ持たず、作品を安易な「新し
い形式」の中に拡散させる作家たちの無惨さはここに起因する。
 他方、絵画へ目を転ずるならば、ここでも私たちは「新しさの困
難」とでも呼ぶべき事態に際会している。そして表現様式の新しさ
が拡散的な過程として追求されたのに対して、絵画における「新し
さ」はフォーマリズムという文脈に接合されることによって、むし
ろ限定的、還元的な様相を示している。おそらくこの純粋化の経験
を直ちに価値判断に結びつけた点にフォーマリズムの思考の過誤が
あった。むろんそれが今世紀絵画の最良の部分を横切る一条の線で
あった以上、もはやそのコンテクストから離れた地点で絵画の未来
を構想することはかなわないだろう。例えば今日の絵画を彩るイメ
ージの出現にせよ、それが従来の絵画史に拮抗しうるだけの強度と
必然性を帯びるためにはこのような脈絡の外部に唐突にそれを求め
ることは問題たりえない。しかし還元的な本質を宿すフォーマリズ
ムは本来的に限界を有している。それが明らかになった今日におい
てまず私たちに求められるのはフォーマリズムの相対化であり、前
衛性という原理に従って、その最先端に位置することによってのみ
有効であった間断なき運動の総体を、作家がその問題意識に従って
自由に参照しうる一貫性と品格を備えた一個の財産目録と読み換え
ることである。
 ここに現在にあって絵画に拘泥することの積極的な意味が明らか
となる。つまり絵画こそ平面というミニマルな共通の成立条件のゆ
えに、歴史に立ち返ってその豊かな成果を参照することの最もたや
すいメディウムである。その形式は決して自由ではない。しかし拘
束の共通性こそが作家と歴史を結びつける。そして、今や前衛の名
を借りた歴史性が作家を束縛する時代は終わり、作家が一つの完結
した歴史、しかも最上の作品によって織り成された歴史を自由に参
照して創造へと向かうことが可能とされるのである。従って、現在
にあって絵画は決して危機に瀕しているのではない。逆にモダニズ
ム以後を照らし出すこのメディウムにおいてこそ美術の未来が端的
に示されるのである。