1986.12 ギャラリー白
ペインティングの新人たち−”絵画”以後の絵画 案内状

尾崎信一郎(西洋美術史)

 「ポスト・モダン」なる言葉が跳梁する現在、絵画の危機を語る
ことはたやすい。しかしそれによって今更何を生み出そうというの
か。そもそもモダニズム絵画の終焉は、既に1960年代において
クレメント・グリーンバーグによって予告されていたのではなかっ
たか。
 西欧近代美術を主導してきたモダニズムの原理とは、前近代にお
ける、正系/異端の図式に代わる前衛の概念によって先導されてき
た。ハバーマスのいう「現代のアクチュアリティーの賛美」、つま
り新しさのみをその存在理由とすることによって、印象派以後のモ
ダニズム美術はイズムの変遷としてその歴史を織りなしてきた。
 しかし絵画におけるモダニズムとは、単に進歩主義の華やかさを
含意するものではない。グリーンバーグが明らかにした通り、むし
ろそれは自己批判の強化、過剰な要素を一つずつ放棄し、自己の純
粋化へと至る禁欲的なプロセスを意味する。この事態は西欧近代絵
画史という一つのディスクールに一貫して看取され、おそらく従来
の我々の絵画もその射程距離内にあった。そして絵画という制度内
に限定する限りおいて、再現性を否定し空間性を放棄していく過程
の中で絵画が帰着するのは還元不可能な要素である平面性であり、
その現象面での帰結もまた自ずから明らかであった。絵画が平面と
一体化されたミニマリズムの絵画の出現によって、西欧近代絵画の
物語はそのサイクルを閉じることとなる。
 「絵画」の物語の終焉は語りえても、創造は止むことがない。そ
してこの状況の中で、画家たちは二重の罠に攻撃されている。いう
までもなくその一つは指導的な原理を喪失した、絵画の不透明な未
来から惹起される不安であり、もう一つは絵画という枠組自体を解
体して容易な新しさへ逃避しようとする抗し難い誘惑である。そし
て作家が直面する困難は、来たるべき絵画について何らかの理念を
も提起することなく、拱手して状況の図式化のみに終始した現在の
批評の怠慢に端的に起因している。
 しかしここに出品した若い画家達はミニマル・アートの炎をくぐ
っていない。彼らが敢えて絵筆を握る時その背後に、もはや唯一な
原理を求める必要はない。「絵画」以後の絵画にあって求められる
べきは、連続ではなく断絶を語ることではなかろうか。そこには絵
画の物語に縛られない多様な絵画が出現するであろう。しかし多様
性を恐れず、むしろそこに込められた強度をモダニズムの桎梏から
逃れえたことの証として、「絵画」の終焉を絵画の解放と読みかえ
ること、「全てが許されている」タブラ・ラサの中から自らの衝動
に導かれるままに絵画の豊饒をを紡ぎ出し、新しい言説を絵画の磁
場の中に形成していくこと、それらは「絵画」以後の絵画を生きる
我々の世代の課題である。