2001.4 ガレリアフィナルテ個展 カタログ

石崎勝基(三重県立美術館学芸員)

「続・滝の裏に洞穴、あるいは神性収縮をめぐって」

 白く地塗りされた画布のひろがりの中、右か左に寄せて白の筆致
を交えつつ、黒に近い暗緑色の絵具の細長いかたまりをいくつか束
ね、斜めになすりつけてある。ただ画面を前にした印象は、物とし
ての絵具を激しい身ぶりで画布にぶつけた、その痕跡というに留ま
ってはいまい。そうした性格を保ちつつ、同時に絵具の暗さは沈み
こむことで、画布の白いひろがりを手前にせりださせ、非物質的な
光で満たすかのように感じられはしないだろうか。その時さらに、
後から加えられたはずの絵具の方が地であって、手つかずの画布の
白さこそが図と映りはしないか。
 もっとも白地が光として発現するのは、可能性の幻影においての
ことだ。かすれた薄いにじみや鉛筆の線など、絵具のかたまりと白
地との間を仲介する要素も欠けてはいない。それにしても、筆致の
束と白地との二項対立は大枠では解消されることなく、画面はとり
あえず、両者の関係として一目で把握される。この瞬間的な印象が
段階を踏んで変化する時間の継起へと導かれるには、二項の非連続
性はあまりにも大きい。ただそこに、不透明な厚塗り、線の掻き落
とし、にじみの拡散といった物質的な相が介入してくる時、瞬間は
幅も厚みもない点ではいられなくなることだろう。
 絵具はたしかに、荒々しさと素早さをもって画布と接したかに見
える。しかしその速度は、絵具が厚くうずくまっていること自体に
よって、ブレーキをかけられてしまう。斜めの傾きも過去や未来へ
延長する動勢と同時に白地からの抵抗を呼び起こし、その圧力によ
って滞留を余儀なくされる。その上やまわりを走る鉛筆の線は、主
たる筆致以上の速度を読みとらせずにいないが、絵具の盛上がりを
掻き削って動くため、やはり速度が後に残すはずの時間の経過と摩
擦を起こすことになる。残像のようなにじみの部分は、厚塗り部や
鉛筆の線から、前後左右へのさらなるずれをもって減衰していく。
 ここで生じているのは、身ぶりの痕跡であるがゆえに過去を指示
する、というだけではあるまい。瞬間が瞬間のまま厚みをはらむ、
とすれば図と地の対照として把握された空間もまた、幅も厚みもな
い平面ではいられないはずだ。絵具のかたまりの斜めの傾きも、画
面の四周に対してだけではなく、平面としてのひろがり自体に対し
ても、斜めに傾斜しようとしているのではないか。しかも筆触は複
数あって、収斂と散乱のヴェクトルを同時にもたらす。この時画面
は、白い画布と、そこに亀裂をひきおこす他者としてのさまざまな
身ぶりや物質とが、さまざまな角度で交わる境域と化しているとい
えるかもしれない。
 1999年にはじまったという以上のごとき相は先立つ数年間の
作品における壮麗さ・軽快さに比べれば、一見沈欝とも映る集中性
をしめしている。しかしこの集中によって、画布の白いひろがりに
潜在していた層が開かれ、画面は緩慢な発光に浸された。今回の個
展でも、その展開を目にすることができるはずだ。