1995.1 ギャラリー白 テキスト

長谷川敬子

「”気配としてのイメージ”のために」

 館勝生の作品は昨年あたりから少し変化してきたようにみえる。
以前の作品は、暗緑色と乳白色とのコントラストが画面を構成する
要素となっていたが、最近作では明暗の対比が弱まってきた。また
画面中央の形態を縁取っていた輪郭線が消え、形態が「図」として
みえにくくなってきたように感じられる。
 館はあるイメージを執拗に描き続けている。そのイメージをより
多義的に表現するために形や色、ストローク、マチィエールなどの
処理を変化させてきた。以前、彼の描く独特形態は植物や羽といっ
た有機的な何かを思わせるものだった。具体的には解釈が付随し、
彼の伝えようとするイメージとは違った方向へみる者を導いてしま
う。最近、具体物への連想が働くことを回避するような構成がとら
れるようになりつつあったのも、イメージをストレートに表現する
ためのひとつの方法だったといえる。また、数年前まで館の作品の
特徴であったストロークやマティエールの表情を消すことが意図さ
れたのも、イメージ自体を伝えようとする試みだった。
 そして今回は「色」を扱うことが意図され、これまではみられな
かった色彩が取り入れられた。従来の作品の中で完成されていた明
暗の対比から同じような明るさの色の並置へ。その結果、「図」と
「地」の対比は不明確になり、描かれたフォルムが中心的に視線を
吸い寄せることもなくなった。形の要素を後退させ、透明感をたた
えた色彩が響き合う画面を作ること。みる者をイメージそのものに
向き合わせ、形や色といった個々の要素を越えた気配としてそれを
伝えるために、画面上の模索は続いている。
 新たな傾向の中で制作を進めることは、それまで身についてきた
癖のようなものを断ち切る作業でもある。今、向き合っている画面
自体と対話しながら描くためにも、ある種の変化が必要だったのか
もしれない。「輪郭線で描かれた形の内外に絵の具を置くことが塗
り絵のような段取り仕事に思われ、絵を描くリアリティーが減って
きた」という言葉にも、それが感じられる。
 一貫した目的に到達するまめの様々な脱皮はこれからも続くだろ
う。そして私たちがその意味を理解する頃には、次の脱皮に向けて
彼は手を動かし始めているだろうか。