1992.2 ギャラリーOH個展 カタログ

石崎勝基(三重県立美術館学芸員)

「滝の裏に洞穴−表面の少しこちら・少しむこう」

 褐色とまぜた暗めの深緑が上から下へながれおちる中、片側によ
せられた白の筆致の集中点をかなめに、虫の羽か花弁ないし葉を連
想させる薄い形態あるいは円が、横に滑るように連鎖していく。か
なめからはもう一本バランスをとるのか、そぐのか、ややはずれた
方へ長い線がのびる。深緑はしばしば下方で、白地を透かすかのこ
している。
 運動というのではあるまい。有限の存在者か無限を前にした時、
その認識は後者のひろがりと深さを時間の内にたどらざるを得ぬこ
とに応じるのか、光も闇ものみ込む深淵の深み自体が、仮に幻影の
姿でゆらめいたのだろう。形は出現しようとするとも消えていると
も見えるが仮幻性をかんがみるならむしろ出現以前、消失以後の時
間そのものの上か底を漂う時間がとどめられているのだ。それが見
るものに、場から切り離しえぬ幻であるかぎりでの潜勢する運動、
運動の亡霊を介し伝えられる。
 画面を作りなす因子は、とりあえず三つあげることができよう;
場、形、かなめ。
 まず深緑を主にした場は刷毛で上から下へ流すことにより、平面
と一致させられる。ただし、薄く溶いたグラシなので、下層の白地
を透過する。そのおり、色は画面全体を覆い、表面を一旦遮断する
が故に、かえって全平面からの奥ないし手前へのずれというイリュ
ージョンをはらむのである。透過性が色に光を含ませる一方、混色
と調子の暗さはイリュージョンがいたずらに強まって地から剥離し
てしまうのを防ぎ、そのずれをぎりぎりの可能態におさえている。
刷毛とからしの跡や、むらも、ひろがりに自然さをもたらし、物体
化におち入れさせないいれさせない。色が極度に薄くなった部分お
よび白地の残された部分は、だから平面を分割するものとして色面
と対比されるのではなく、色に浸透されるかぎりで、垂直に重なっ
ているのだ。縦の流れが伝える重力の偏在は落下感ゆえ逆に浮揚す
べき虚空を保証しもって横にひろがる深みが獲得されたといえよう
か。
 羽状の形ないし円は、厚みを排されている。かろうじて輪郭をと
る白の線も形を飛び出しそうだし、流れ落ちる深緑のたまりが輪郭
の痕跡をなす部分は、形が色面の上にのるのではなく、その内に包
み込めれていることを物語る。ただし、完全に平面に即しきってい
るわけでもない。形は必ず二つ以上が重切した上で雲母の薄さをも
って、しかし一番手前にくる形の大きさゆえ縦の流れが落下する速
度を遅らせつつ、互いにずれだす。そのため、画面と平行でも垂直
にでもなく、表面と色のイリュージョンのはざまを、わずか斜めに
交差していくのである。これが色のイリュージョンを平面に引き戻
すと同時に、色と表面とのずれを確保し、ひろがりを滞留させるだ
ろう。
 白の筆致が集合してかなめをなす部分はとりあえず画面の焦点と
見なせるが、あくまで色面及び形が身じろぎするための発着場とし
てある。扇のかなめが開いた部分より厚いように、ここも画面内で
一層即物的に処理されている。白の筆致は粘りを強めた絵具を厚く
すくって打ち込まれるのだが、一箇所に収斂しようとするため絵具
は盛り上げられるというより、表面を浅くえぐろうとする。やはり
表面を表面でおさまらせてはいけないわけだ。他方、かなめの上な
いし下にそって、やや濃くされた深緑がまわりこむ筆致を示す。こ
れがかなめを孤立させず、横への連絡をもたらしている。こうして
かなめは、色面と形の交差に、さらに別の角度で交わる。
 三つの因子はいずれも平面性に即しつつ、平面が平面でなくなる
契機を懐胎している。そして因子の交差は、表面からのずれ自体に
虚の角度から組織された次元をたたきこむ。そこでは色の場が落下
する時間、片側のかなめが形に展開する時間、形より形へ連なる時
間がぶつかり合い、中和しきれず散乱した時間がよどむだろう。き
わめて薄い雲母片と雲母片のあいまいで、はらまれたまれたイリュ
ージョンは、鋭敏さゆえこそ、ばらばらに砕けかけぬと感じさせら
れなくもない。グラシの透過性に工芸化の危険、形の薄さに装飾的
なパターン化への危険、露出した白地の面積比や、かなめの厚塗り
に物体化の危険が予想されるかも知れない。ただ、手と目が緊張と
柔軟さを失わずにいる限り、色やストロークはその走行のうちに、
おのれ以外の何かを分泌し、物質から幻が生じ、あるいは消えもっ
ていずれでもない、はざま自体の像を結びつけるはずだ。