1987.5 ギャラリー白個展 案内状

尾崎信一郎(西洋美術史)

 館勝生は一昨年のデビュー以来、絵画という困難な課題に対して
常に一貫した姿勢で取り組んできたように思われる。
 館はイマージュの生成という問題に絶えず直面してきたのだが、
その探求の持続性は必ずしもイマージュの軽やかな現前を意味する
ものではない。まずとりあえずのモティーフとして裸体の形象を手
がかりに、粗い筆致の中でイマージュを紡ぐ試みを重ねた後、彼は
さらに現前されたイマージュの原型へとゆるやかに遡及していく。
この過程の中で次第にストロークは弱まり、茫然とした空間に内界
の形象がほの白く浮かび上がる。彼が定着させる形象が、自己の内
景を凝視することに沈潜した一連のシュールレアリスト、例えばア
ンリ・ミショーの幻視を想起させることは、決して偶然ではなかろ
う。しかし同時に館の画面には一種の虚脱感も胚胎している。イマ
ージュを織り成していく過程の緻密さと画面の空虚さは奇妙に背離
し、館が指し示す絵画の原風景はシュルレアリストにはみられない
イマージュに対する一種の諦念を漂わす。館が追究するイマージュ
の生成は、一見すると絵画に対する盲目的な信頼に淵源したかにみ
える。しかし述べた通り、館はしたたかな戦略によってイマージュ
へと接近するのであって、そこではこのような探求の困難が既に自
覚化されている。絵画という制度自体が、もはや自明ではあり得な
いという認識と、絵画をその形式によって語るという方法に我々は
既に馴染んでしまっているのだが、このような状況の中にあって、
絵画の可能性を敢えてその内容において探る館の試みは、新しい絵
画の方向を模索する一つの手だてとして了解できよう。むろん形式
面での熟成は今後の課題として残されるものであるが、意図的に隘
路の中を進む館の「持続する志」を見守りたいと思う。